泰安寺縁起

  慶長8年(1603年)森忠政に従って来た旧領美濃国の金山涅槃寺住職前蓮社眼誉が南新座に創建した覚王山涅槃寺からはじまる。
  現在地に移ったのは慶長14年(1609年)である。森家4代のあとに入国した徳川家康の第2子結城秀康を祖とする松平宣富(初代)が入国し元禄11年(1698年)津山藩主松平氏の菩提寺となった。元文4年(1739年)宣富公の祖母の戒名より天崇山泰安寺となった。
  天保9年(1838年)藩主斉孝(第7代)の死去で当山に埋葬されて以来寺格が進み津山三箇寺のひとつとなり諸寺の上班にあった。
  松平家の菩提寺にふさわしい堂々たる構えを持っている。山門までのかなり長い参道の両脇は老松の並木であったが、第2次世界大戦中に松根油の採集で伐採された。本堂・玄関・客殿・庫裡は威風堂々の構えで重厚と威厳を保って目にせまるものがある。
  明治維新後は、かつての藩主の庇護も途絶え戦後は農地改革で寺が所有していた田畑はすべて失い年月とともに当山の維持管理費もかさばみ荒廃していたが、檀家皆様の御理解ある御淨財によって年々一歩一歩整備充実がなされて往来の格式ある寺の面影がしのばれるようになった。